問題は答えです
創39:1~6 主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。(2)
定刻礼拝のための讃美 / 492番 この世のたびじに
伝道者の生活をするために「何をすべきか」質問しなければなりません。私自身が真の答えを受けてこそ、世界福音化ができます。私とともにおられる神様を信じるならば、真の答えを受けることができます。
1. 問題は答えです
問題が答えであるということを知らなければ、イエスがキリストであるという事実を理解していないということになります。問題に答えがあるという意味ではなく、問題自体が答えです。イエス様が私のために十字架で死なれ、すべてを完了したとおっしゃいました。すでにすべての問題は終わったのです。しかし、私たちは自ら問題の中に陥ります。神様が私とともにおられ、イエスがキリストだという福音は完全なものです。この事実が信じられる時に神様の計画が見えはじめ、問題が答えであることを発見するようになります。私たちは奴隷になっても神様とともにいたヨセフの生活を通して答えをみつけなければなりません。
2. さびしさはインマヌエルを味わう機会です
さびしさはだれにでもあります。神様の子どもなら、さびしさは神様が答えられる一番重要な時間です。何もできないと思えるとき、神様は一番大きい答えを与えられます。ヨセフは監獄で、モーセは荒野で、一人でさびしかったときに大きな答えを受けました。「主がヨセフとともにおられたので」神様の子どもに聖霊がともにおられるために、だまされずにインマヌエルを味わわなければなりません。さびしいのでしょうか。だれも私を助けることはできないと思えるのでしょうか。神様を見上げましょう。
3. 無能は神様の力を体験する機会です
パウロはキリスト以外には誇るものがなく、自分の弱さを誇ると言いました(Ⅱコリント12:5)。私は弱いのですが、神様の力がともにおられます。神様の子どもには王の王であるキリストが聖霊でともにおられます。サタンの勢力を打ちこわした真の王、すべての罪と呪いを解決し、私たちが祈るたびに答えられる真の祭司、私たちが行く所々に聖霊の働きが起きる真の預言者の祝福を私たちに与えられました。私たちは救いを受けている途中ではなく、すでに救われました。それゆえ、私が弱い時が神様の力が働かれる時刻表であると思えば良いのです。
- ヨセフとともにおられた神様が、今日も私とともにおられます。もし問題とさびしさ、無能の中に陥っているならば、真の答えを探して味わってみましょう。
世界Remnant文化宣教大会 フィラデルフィア1講 / 2010.11.26