ヨナの錯覚
ヨナ 1:1~3 しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。(3)
定刻礼拝のための讃美 / 206番 いともながく罪にしずみ
ヨナはB. C. 760年頃、捕虜以前の時代の預言者です。その当時の最強大国であったアッシリヤの首都二ネベに行くように神様はおっしゃいました。ところがヨナは、タルシシュへ逃げます。しかし、ひどい暴風にあって仕方なく二ネベに入って神様のみことばを宣べ伝えます。しかしながら、ヨナは悔い改める二ネベを見て怒りました。預言者ヨナはなぜ二ネベが悔い改めることを嫌がったのでしょうか。ヨナは何を錯覚したのでしょうか。
1. イスラエルの錯覚
イスラエルは「私たちは神様から選ばれた民である選民であり、他の国は選ばれていない異邦の国である」という考えを持っていました。ヨナもまた目に見えないように選民思想を持っていたのでした。多くの国が自分だけの民族主義を持っています。目に見えない知識ですが、世界宣教に最も邪魔になる恐ろしい思想です。聖書はすべての民族が一つの民族であると言いました。これを正しく悟った人がパウロですが、幼い時から学んでいた民族主義を越えて世界福音化にいのちをささげました。
2. ヨナの錯覚
ヨナは、二ネベに福音を伝えるようにというみことばを受けて主の御顔を避けます。しかし、だれであっても、神様を避けることはできません。これがヨナの大きな錯覚でした。彼は神様のみことばを避けてタルシシュへ逃げますが、激しい暴風にあって大きな魚にのみこまれます。結局、神様から与えられた問題を通して悟るようになります。二ネベに行って福音を伝えたときに、悔い改めの働きが起きます。しかし、悔い改める異邦の民を見ながら神様のみことばを悟らずにまた落胆します。
3. 世界教会の錯覚
ユダヤ人と世界教会は原罪と自分が犯す罪を区分することができません。信徒もまた自分が犯す罪が刻印されて罪責感に捕らわれています。私たちがサタンにだまされて神様から離れるようになった創世記3章の事件で、私たち人間のすべての人生が恐ろしい災いと呪い、滅亡に陥りました。人間が神様から離れた罪のために土地までのろわれました。このすべてが神様を離れた原罪のためです。このことによってくる霊的問題とサタンという存在に対してよく知りません。この部分は目に見えない明らかな霊的知識であり、私たちの人生を変えることのできる重要な事実です。多くの人々がこの部分を逃して錯覚しています。
- 目には見えませんが、重要な事実を忘れて生きてはいませんか。神様の子どもになった身分と権威は確かな事実なので伝道者の生活の中で味わってみましょう。
総会神学校特講メッセージ / 2010.10.27