今日のみことばを握る
ヘブル4:12~16 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(12)
定刻礼拝のための讃美 / 209番 主イエスを知りたる
伝道者の生活は、学業と職業を差し置いて伝道だけをして回りなさいということではありません。神様の子どもが、当然受けなければならない今日のみことばを握って、祈りで助けなければならない人を探し出すことです。そして、伝道者の生活で出てくる祝福を見つけて味わうのです。それでは、どうすればこのような伝道者の生活をすることができるのでしょうか。
1. みことばを黙想する
聖書をたくさん読むことよりも、神様がなぜこのみことばを私に今日くださったのかと考えて、黙想して、私の生活に適用することが重要です。また、講壇のみことばを持って、私を照らしてみなければなりません。私に向けられた神様のみことばを持っているときに、現場で答えがやって来ることを発見できます。すべての出来事や出会い、考えに、感謝と祈りが成り立つことが伝道の始まりです。私たちの姿、性格、状況を変えるからといって成り立つものではありません。そのままの姿で、神様のみことばを適用するときに、神様の計画を発見することができます。このときに、伝道が通じ合う人との出会いの祝福を受けるならば、現場で大きな働きが起きることでしょう。
2. 問題を通して答えを探す
個人と教会に問題が来ることがあります。私たちが見るときには、問題が来るかのように見えるのですが、来るべきものがやって来るのです。問題には理由があります。これが当然性です。当然問題はやって来るけれど、この中に神様が私に願っておられることがあります。これが必然性です。このときに、私が握らなければならない機会が来ます。これが絶対性です。すべての問題は、すべて機会です。当然性、必然性、絶対性で、問題を見ることができる目を持たなければなりません。今日、私にある問題を見ながら、当然性、必然性、絶対性に対して質問をして、答えを探し出してみてください。
3. 人を生かす
今日を生きていると、まわりに必ず変な人がいます。しかし、これに反応して対応するのではなく、まずは従順にして、その人々を後ろから助けてあげれば良いのです。このときに、神様が働かれるでしょう。毎朝、夢中で準備をして忙しく生活していると、聖書を読んで祈ることが難しくなります。忙しいなかでも、余裕を持って伝道者の生活を始めるならば、私のまわりにいる人が生かされて、現場が生かされる祝福を味わうことができます。
- 講壇のみことばを黙想しながら、今日、私が受けるべき、そして、受けたみことばが何であるのかを振り返ってみましょう。問題から神様の願われる答えを見つけてみましょう。そして、まわりの人をもう一度見て、福音を持った私ができること、助けることが何なのかを考えてみましょう。
伝道企画 / 2010.10.3