奉納物と献金
出35:20~29 イスラエル人は、男も女もみな、主がモーセを通して、こうせよと命じられたすべての仕事のために、心から進んでささげたのであって、彼らはそれを進んでささげるささげ物として主に持って来た。(29)
定刻礼拝のための讃美 / 493番 主イエスわれに命たまい
神様の子どもが生きる間、当然味わうことのできる祝福があります。当然な祝福であるのにもかかわらず、逃してしまうクリスチャンがたくさんいます。その答えは、福音を正確に知ることから始まります。神様はなぜ40年もの間イスラエルを荒野に留めたのでしょうか。三つの集中力を育てるためでした。その三つはどんなことでしょうか。
1. 三つの祭りの祝福に集中すること
私たちの回りの問題や苦しみが、私たちを飲み込むことはできません。すべての呪いの問題が解決された日が過越の祭りです。信徒が行く道を導かれる五旬節、天国の背景を現す仮庵の祭りが私たちの現場と関係がなければなりません。三つの祭りの内容で祈ることのできる力を得なければなりません。モーセは王宮では成功できませんでした。しかし、ホレブの山で神様を体験した後、完全に神様に用いられる伝道者となりました。神様は私たちが神様を体験することを願っておられます。幕屋中心で祈りに集中することのできる方法、すなわち私なりの祈りの方法を探し出さなければなりません。祈りは霊的な科学です。神様の子どもは必ず答えを受けることができます。
2. 専門性をおいて祈りに集中すること
荒野で会見の天幕をつくるイスラエルの民は、細かな専門性を備えました。私たちを整えられる神様の前で、私たちのすることと現場をおいて祈らなければなりません。ヨセフが奴隷としていたとき、ダビデが羊飼いとしていたときと同じように、最高の契約を握って最善を尽くす専門性の祝福を受けなければなりません。私たちがしなければならない当然なことをしていると、必要なことが見えます。ここに専門性を備えるならば、絶対的な場所、唯一性へと行き着きます。神様は、主の御名によって栄光を捧げ、世界福音化するくらい専門性を備えることを喜ばれます。
3. 経済をおいて祈りに集中すること
神様の願われるときに私たちの人生が用いられることができるのが真の成功です。神様が必要とされるときにささげることができるほど、経済的な祝福と答えを受けなければなりません。福音的な物質観を持って、お金にひざまずくのではなく、お金を引っ張ることのできる人になることが重要です。神様の人に与えられる力と献金の祝福を受けることができるように祈らなければなりません。私たちの次世代が、心に感動した者、進んでささげる者の祝福の中に入ることができるほどに証拠を与えてくださるはずです。
- 今日の祈りに集中することができるように契約を与えてくださり感謝します。神様に思う存分ささげることのできる人生の祝福、専門性の祝福を味わわせてください。この祈りの中で今日のすべての答えを探し出してみましょう。
インマヌエル教会聖日1部 / 2010.7.18