みことばといやし
使徒20:7~12 ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。(9)
定刻礼拝のための讃美 / 411番 主われを愛す
信仰生活をする人の中には、みことばと祈りを逃して生きている人が意外とたくさんいます。実際に多くの人が祈りがうまくいかず、大きい困難を経験しています。その理由は、霊的な状態がひどく荒れ果てているからです。そのため、祈りの集中力はなくなり、霊的な問題による執着がはじまります。どのようにして、この部分をいやすことができるのでしょうか。最も良い方法は、黙想です。みことばの黙想と、祈りが正常的になるならば、問題の中にある事実を見ることができます。問題から答えを探し出せば、時代的な答えを受けることができます。まず、解決しなければならない三つの問題があります。
1. 捨てなければならない不信仰
ほとんどの人が不信仰につかまっていて、神様を信じることができずにいます。自分の思い通りに自分の生死と災いと祝福を治めることはできません。私の人生を私の思い通りにすることができないということは、私が主人ではないということです。私の人生の主人は、神様です。神様の主権に私の人生があるのです。この事実を認める状態で自分の時間を持ち、自分を省みて、自分の人生を整理するときに、祈りは難しいという考えはなくなります。私が少しだけ基礎的な部分を回復しても、いやしは簡単に起きます。基礎を回復せずに、先にいやしだけを求めることは好くない結果をもたらします。
2. 回復すべき価値
私たちは信仰生活を通して発見しなければならない重要な価値があります。一つ目は福音の価値です。福音の中で私たちの生死と災いと祝福を治めて導かれる神様の祝福を探し出さなければなりません。二つ目は、人生の価値です。私たちの人生に向けられた神様の祝福の中で、与えられたタラントと価値を探し出さなければなりません。三つ目は、他の人とともにする祝福を発見しなければなりません。ここで、私たちの真の人生の価値が回復されます。
3. いやされなければならない無能
私たちが努力して得なければならない力もありますが、私たちの努力でも、どうしても得ることのできない力もあります。重要なことは人間の努力だけではできません。私たちが神様のみことばを続けて聞いて祈らなければならない理由は、この中で神様がくださる力を得ることができるためです。このとき、当然深いいやしを味わうようになります。神様がくださる力を得るときだけ無能がいやされ、世を生かす答えの人として立つようになります。
- 私の不信仰がいやされる最も良い方法は、今日のみことばを握ることです。
核心訓練メッセージ / 2010.7.17