生きているみことばを体験する奥義
ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
定刻礼拝のための讃美 379番 みことば聞きて
神様は必ずみことば通りに答えられます。聖書と教会史全体を通して見たときに、結局は神様のみことばの成就の中にあるものだけが今に至るまで答えられています。そして、伝道することと関係しているものだけが答えられています。また、神様のみこころに叶う正しい祈りが答えとして残っています。私たちは、生きておられる神様のみことばをどのように体験することができるのでしょうか。
1. 歴史的に重要な人々
私たちは神様がご覧になるときに、重要な時代に生きている重要な人です。イスラエルが一番苦しかったとき、神様は「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。(イザヤ40:8)」というみことばをくださいました。人生はしばらくの間、存在してなくなってしまう草の花のようだが、神様のみことばは永遠だということです。神様のみことばである聖書は、人の考えで記録されたものではなくて、聖霊の感動をもって記録されたものです。聖書の約束の中で、イエス様の再臨のほかは、すべて成就しました。知識人であればあるほど、神様のみことばをおかしく考えたりもして、神学者の中でも神様のみことばを軽く見ている人々がたくさんいます。そうしているうちに、世界の教会が霊的に深い眠りに陥ってしまいました。しかし、今でも神様のみことばは変わりなく成就されています。
2. 神様のみことば体験
私たちは、どのように神様のみことばを体験すればよいのでしょうか。私たちに問題がやってきたとき、自分に慣れている方法通りに解決しようとするのではなく、神様のみことばはどのように書かれているのか探してみなければなりません。すべての出来事の中でもみことばを確認しなければなりません。すべての現場でこのようにするとき、神様のみことばは何と記録されているのか探してみて、適用してみなければなりません。そして、すべての結論は神様のみことばで下さなければなりません。答えが来たときは、必ず神様のみことばを持って確認してみなければなりません。
3. 神様のみことばを正しく握るとき
私たちがみことばを正しく握るならば、必ず神様はそのみことばを成就されます。パウロが長い間伝道旅行と定刻祈り、そして深いみことば黙想の中で「ローマも見なければならない」(使19:21)と言ったのですが、そのことばを神様が最も重要にご覧になって、「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます」(使27:24)と言われました。私たちが伝道と祈り、みことばの中にいれば、結局、神様が私たちに重要なみことばを悟らせてくださいます。
- 今日、私が握るみことばは何ですか。みことばが生きて働かれるのを体験することができるように謙遜に神様に祈ってみましょう。
産業宣教メッセージ/ 2010.6.12