過越祭の意味
民9:1~14│「イスラエル人は、定められた時に、過越のいけにえをささげよ。あなたがたはこの月の十四日の夕暮れ、その定められた時に、それをささげなければならない。そのすべてのおきてとすべての定めに従って、それをしなければならない。」(2~3)
神様は私たちに福音を与えられました。また、私たちを家庭と家系の証人として、職場と教会を生かす証人として 呼ばれました。イスラエルの子孫に過越祭の意味を繰り返 し確認させられた神様は、今私たちにもその働きをしておられます。なぜでしょうか。
1.痛い傷に福音を深く刻みなさい
前は紅海でふさがっており、後ろはエジプトの兵士が追 ってくる状況に置かれることもあります。つらい荒野生活 は終わらないような気もします。心に恨みが生じるために、 不平不満の言葉が出て、不信仰の選択をすることで傷はよ り深くなって固まっていきます。しかし、神様は、このような 様々な傷を持っているイスラエルの民に、答えはただ福音 しかないということを教えるために、過越祭の事件を体験させました。
2.福音に根を下ろして体質になる証人
傷がある人は多いです。弱いところ、失敗したこと、痛い 経験から福音を握って神様のみこころ見つけ出すなら、傷 は土台になります。しかし、傷に陥ると運命に縛られます。したがって、私たちは福音を黙想する時間を持たなければ なりません。その時間を通して私のたましいに福音が根を 下ろし、体質は神の国を味わうように変わるでしょう。
私たちを証人として呼ばれた神様は、どのような環境と 状況に置かれても霊的事実を見るように訓練しておられます。今日も私たちは、福音が刻印されて、根を下ろして、体質 になる証人の道を行っているということを忘れてはいけま せん。