聖書のいやし
使徒19:8~20 │ 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。パウロの身 に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪 霊は出て行った。(11~12)
♬定刻礼拝のための讃美 168番 み神のラッパが
からだが病気になれば医者を訪ねて行きます。からだに良い食べ物と薬を飲んで十分な休息をと れば、からだはすぐに回復します。しかし、肉体の病気を越えて心と考えやいやす方法はたった一つ、 聖霊の働きだけです。聖霊は今も生きて働いていて、神様の力が臨むとき、肉体と精神、心とたましい がいやされる証拠を受けるようになります。聖書の言っているいやしは何であり、この祝福をどのよう に味わうことができるのでしょうか。
1. 旧約のいやしの現場 I列王記17章には、エリヤがやもめの死んだ息子を生き返らせる事件が出ます。またエ
リヤがえにしだの木の下で力なく倒れていた時にも、神様が大きな力を与えられ、いやし の働きを見せてくださいました。エリシャもやはりシュネムの女の息子をみことばによって いやし、食中毒が起こったとき、力をあらわして毒を取り除きました。また、ナアマン将軍 の病気をいやして宣教の門を開きました。
2. 新約のいやしの現場 イエス様が来られ、まず先になされた働きはいやしでした。みことばによって病気にな
った者、悪霊につかれた者をいやされました。イエス様はすべての病を担われました。マタ イ18:1~17 ペテロはイエス・キリストの御名によって足のなえた人を起こし、パウロは暗やみ の勢力で満たされている異邦の現場を福音によっていやし、世界福音化の門を開きまし た。このように、聖書の中の伝道運動には、いつもいやしの答えがありました。
3. いやしを味わう奥義 神様がくださるいやしの答えを味わう奥義は、ただ「聖霊の満たし」です。聖書の中の人
物は、彼らの力によって病んでいる者と悪霊につかれた者をいやしたのではありません。 彼らに聖霊が満たすように臨んだとき、神様の力が現れたのです。聖霊の満たしは、たま しいと心、考えの中に、ほかの事ではなく、ただ神様のみことばと聖霊がいっぱいになっ ている状態です。私の主観と考え、動機と欲を捨てて、ただ神様がくださるみことばだけ を心に抱くとき、まことのいやしが始まります。
ださい 私の弱い部分、いやしを受けなければならない部分は何でしょうか。聖書の中のいやしの答えをどのように味わうか、いやしの答えが今日私に臨むように聖霊の満たしのために祈ってみましょう。
いやし使命者大会 1講 / 2013.4.30