まことの献身
Ⅱテサロニケ1:1~12 │ そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(11~12) 何に私の人生は集中していますか。私に福音のためのまことの献身の生活があるか黙想してみましょう。一生懸命に教会で献身して伝道も熱心にしますが、良くならない生活を見てがっかりするときがあります。福音ではない他のことによって生活を満たすと、答えとは遠くなります。私たちは理由を知るまことの献身をしなければなりません。福音ではないことのために献身すると、苦しみに変わるでしょうが、福音のための献身は水一杯でも報いに漏れることはありません。これから私たちは形式的な献身ではなく、霊的な世界を見ながら神様が喜ばれるまことの献身をしなければなりません。まことの献身とはどんなことでしょうか。
1. 光を放つ献身 使徒17:1~9
私たちはサタンの権威の下にいましたが、イエス・キリストを信じることによって神様の子どもになりました。救いに対するまことの喜びがあるために、伝道は成り立つしかありません。伝道はとても小さな献身であると思えるでしょうが、神様は小さな伝道を通して大きな実を備えられました。暗やみの勢力に捕まって、いのちの光が必要な人と地域を霊的な目で見ることができるなら、神様は光を放つ献身に用いてくださるしょう。
2. 霊的献身
人を生かす献身には迫害と苦難がついてきます。これは神様の子どもであるという証拠で、まことの安息と平安を報いとして与えてくださいます。神様の子どもは世の霊的状態をよく調べて、目に見えない暗やみの勢力の存在を知っていなければなりません。霊的に苦しめられて、飢え渇いている人が多いのです。ほとんどが自分の霊的問題と飢え渇いている状態を隠しているだけです。霊的問題を解決して、霊的な混乱を防ぐ道は伝道と宣教です。これが霊的な献身です。
3. 神様の働きを見る献身 使徒18:1~4
パウロはコリントでプリスカ夫婦との出会いの祝福を味わいました。そしてコリント教会を助けながらテサロニケ教会のために祈りながら福音のために献身し、後には神様の働きを見ました。テサロニケ教会は賞賛される教会になって、すべての教会の模範になりました。私たちの人生をささげて福音のために小さくてもまことの献身ができるなら、神様の働きを見るようになります。 259番 主の光の使者よ