まことの栄光と平和
ルカ2:1~14 │ 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(14) ♬ 定刻礼拝のための讃美フォーラムの主題インマヌエル教会聖日1部 / 2012.07.15 さまざまな問題と事件によって不安で心配になるとき、神様の子どもの霊的アイデンティティを回復しなければなりません。神様がくださるまことの栄光と平和についてみことばを黙想しながら祈りましょう。多くの人は、平和という言葉を、戦争と争いがないこと、ねたみとしっとがないことであると思っています。しかし、問題と紛争がないのが平和でしょうか。聖書はイエス様のみことばを信じると神様の栄光を見てヨハネ11:40 地の上に平和が臨むと言われました。ルカ2:14 まことの栄光と平和は何であって、これを味わうためにはどうすればよいのでしょうか。
1. 栄光と平和の絶対的な奥義
この世が思っている平和は一時的ですが、聖書が語っている平和は永遠なものです。本質的にのろいと災いの下で生きていくしかなかった人間のために、神様はイエス・キリストをこの地に送られました。イエス様がこの世に来られたのは、地獄とサタン、のろいの権威を完全に滅ぼすためです。イエス様が十字架で人間の罪のために死なれて復活されることでキリストになられました。イエス様を信じるとき、まことの栄光と平和を味わうようになります。
2. 聖書が語っているまことの栄光と平和
聖書に出るラザロは、縁故のない乞食でしたが、福音を知っていました。反面、金持ちは多くの財産を持って毎日宴会を開いていましたが福音がなくて空しかったです。結局、神様の子どもであったラザロは天国に行き、イエスを信じなかった金持ちは地獄に行きます。世の目で見ると乞食のラザロより財産の多い金持ちに栄光があるように思えても、まことの栄光と平和はイエス・キリストを信じて救われたラザロにあります。
3. 神様の栄光と平和を味わう祈り
神様の子どもには祈れば答えられる資格があります。救われた者は祈りを通して栄光と平和を味わうようになります。聖霊が今私とともにおられ、私を導かれることを信じるなら、目の前に問題が生じて、周りの環境がよくなくても、神様の計画に従って問題を克服することができます。神様に祈る時、最も良いことで答えられ、人間の能力と限界とは関わりのない霊的な力を増し加えてくださいます。 245番 栄えに満ちたる