生活で受ける答え
使徒2:42│ そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈 りをしていた。
♬ 定刻礼拝のための讃美 344番 この目は何も見えずとも
パウロは伝道と宣教のために、死の前でも神様が備えられた道に従っていきました。死の危機が迫 ったダニエルも、神様に祈る時に「神様、助けてください」とは言いませんでした。死ぬことを知っていながらも、感謝しながら祈りました。危機や苦痛の中で、すべてをあきらめたいと思うときがありますか。行く道が分からないために迷っていますか。私たちの生活の中で重要な答えを受ければ良いのです。
1. 生活で見るべきこと
神様の導きを受けるためには、否定的な面よりは肯定的な面を考えてみるべきです。聖霊の導きを受けるためにあがいた初代教会の信徒は、死の危機にあっても神様を見上げました。使徒13:1~4 伝道の門が閉ざされたときも、自分の考えではなく聖霊の導きを受けるために祈ると、マケドニヤに伝道の門が開かれました。使徒16:6~10 ある選択や決定をしなければならないときに、自分の利益を考えずに神様のみこころをもって深く、広く見なければなりません。
2. 生活で味わうべきこと
神様の子どもは、正しい信仰と考えを持って生活しなければなりません。しかし、傷つけられた心と思いのために多くのことが思ったとおりにはいきません。みことばを黙想しても、そのときだけです。私の問題の中で一番解決できない問題を解決してこそ、崩れた規律もまた正すことができます。生活を正しく整えないと健康も回復することが難しく、暗くて否定的な考えも変えられません。私たちの力ではできないため、イエス・キリストが私の生活を引っ張られるように聖霊の満たしを求めて祈らなければなりません。
3. 生活で持つべきこと
罪とサタンの問題は、いくら立派な人であっても解決することはできません。イエス・キリストはすべての暗やみの勢力とのろいを砕かれて、人間が解決できない罪の問題を解決されました。人間は弱くて問題にあったり、物事が思ったとおりにいかないと、人を恨んだり神様を信じなくなります。神様のみことばを自分勝手に解釈したり、神様を忘れたまま生活します。すべての動機、欲を捨てて神様がくださったみことばを握るとき、私の生活は変わります。
フォーラムの主題 何をしても神様側で、どんな決定をしても福音に有益な方向にするために祈りましょう。