教会の葛藤
ガラテヤ2:20│ 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
♬ 定刻礼拝のための讃美 348番 この身をささぐ
教会は神様のみこころによって立てられたところであり、福音を持っている神の子どもが集まる祝 福の場です。しかし、教会も人が集まるところであるため、いろいろな葛藤と問題はあります。また、福音を伝えたくてもよく伝道ができないために教会の復興に問題があったりもします。信徒との葛藤があったり教会に問題がある時に、どのように祈りながら答えを受けるべきでしょうか。
1. 問題と弱さを学びの機会にしなければなりません
教会だけではなく生活の中で多くの問題が生じますが、問題の前で私の弱いところを見て不信仰になってはいけません。問題と事件は神様が私に与えられた学びの機会です。教会の問題を見ながら不平不満を言うかわりに、問題を通して神様が私に何を教えようとされるのかを考えてみましょう。苦しみの中で神様のみこころを学びながら私の体質を変えるとき、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるという告白をするようになるでしょう。
2. 教会の問題の中から神様の計画を発見しなければなりません
多くの信徒が教会の問題と信徒の間の葛藤を見ながら落胆し、復興しない教会を見て力を失います。しかし、教会の苦しみはまことの答えを発見するための一番良い機会です。私たちの限界は神様の力を探す時刻表で、私たちの無能は神様の計画を探す時刻表です。教会の中の問題を通して神様のみこころが成就されることを体験するとき、神様が計画なさったより大きな答えを見つけるようになります。
3. イエス・キリストによって私を変えなければなりません
多くの信徒が個人の考えと基準を中心に行動します。しかし、個人が持っている体質を捨てなければ他の人を理解して心に抱くことができず、世界福音化をすることはできません。私にある性格と体質の中で福音の妨げなるものがあったら、みことばの前に私を照らしてみて、神様が願われる方向に私を変えなければなりません。教会の問題の前で私を点検して、問題を更新の機会にしなければなりません。
フォーラムの主題 教会の問題、信徒との葛藤の前で私が受けるべき答えは何でしょうか。問題の前で不平と不満を 言う前に一番先に何を握って祈るべきであるかを考えてみましょう。