神様の水準で世を見る
創世記12:1~9│ そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。 (2)
♬ 定刻礼拝のための讃美 208番 主イエスわが心に来られ
生きていく中では、必ずしも良いことだけが起きるわけではありません。初めて進む道の前で、不安と恐れが生じたり、問題の前で悔しい思いになって、悩んだり心配したりします。このような状態の中で、信仰のない人に会えばさらに力が抜けてしまい、不信仰に陥って、考えは複雑になって落胆してしまいます。ことばに出さなくても不信仰は相手に伝わります。私は信仰の人でしょうか、不信仰の人でしょうか。神様の水準で世を見るならば、どうすればよいのでしょう。
1. 信仰の決断
神様がアブラハムを召されて、すべてのものから離れてカナンの地へ行きなさいと言われたとき、アブラハムには肉的な考えがありました。しかし、甥のロトと別れた後、信仰の決断をします。また、息子のイサクを捧げなさいと命じられたときにも、信仰の決断をしました。また、ソドムの王との戦争で勝利した後、ソドムの王がアブラハムの前に降伏し、多くの財産をたずさえてきたときに、アブラハムはそれらを受け取ろうとせずに、神様に向かって信仰を告白しました。アブラハムは、人間主義と肉の生活を重要視しましたが、神様に向かった信仰を回復して決断を下しました。問題がやってきて、事件が起こり、選択を迫られたときに、神様の基準で考えるならば失敗しません。
2. 変わらない契約
最初のアブラハムは弱く、足りない自分自身の姿を見て神様のみことばに不信仰しました。何をしてもうまくいかず、食べて生きていくのに必死で、生きていく力もありませんでした。神様のみことばだけにより頼んで生きていくには、この世はあまりにも大きく見えたのです。悟るまでは苦しみましたが、その苦しみの中で時代を生かすべき理由を悟りました。絶対に変わらない神様の契約を握り、信仰を告白したアブラハムに契約は成就しました。
3. 神様の備えられたこと
カルデヤの政治、経済、文化は発展し続けましたが、神様を見上げることなく、偶像に仕えたためのろいの地になりました。神様は、偶像崇拝によって死んでいく地に、アブラハムを置いたままにしておかれず、約束の地であるカナンへと出発するようにされました。神様の命令どおりにカルデヤを離れてカナンの地に行きました。最初は飢饉によって不信仰しましたが、結局はカナンの地で神様の備えられたものを見た後は信仰を回復しました。私たちの目で見たときには苦しみに見えても、神様の備えられたことを見るようになるならば、信仰を回復して勝利するようになります。
フォーラムの主題 神様の契約のみことばについて行くだけで勝利します。環境や状況、問題にだまされずに、アブ ラハムのように契約のみことばを握って信仰の決断を下しましょう。