勝利する奥義
民数記14:1~10│ ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。 (9)
♬ 定刻礼拝のための讃美 259番 主の光の使者よ
イスラエルの民の目には、エジプトを出て紅海と荒野を渡り、カナンの地に入る過程が耐え難いもの に見えました。神様は、すでにカナンの民をふるえおののかせて、すべての状況を備えておられたのですが、イスラエルの民は、現実に抑えられてしまい、神様のみことばを信じることなく不従順しました。このように、私たちが弱く何もできないときに、神様はいつも先に事をなされます。弱い私たちが握るべき神様の契約は何でしょうか。
1. 過越の祭りの奥義を握らなければなりません
どれだけ高い地位に上りつめて権力を得たとしても、神様を知らなければ幸せになれません。キリストを信じて救われ、神様の子どもにならなければ、絶対に霊的な苦しみに打ち勝つことができないのです。神様の子どもという身分を持っていても、過越の祭りの奥義を実際的に悟れなければ、サタンに絶えずだまされてしまいます。神様の子どもは、イエス・キリストの血によって罪から抜け出した過越の祭りの奥義を握るときに、勝利することができます。
2. 出エジプトの奥義を知らなければなりません
イスラエルの民は、カナンの地に入ることを控えて、恐れて神様の前で泣き叫びました。災いの地、エジプトから抜け出して紅海を渡りましたが、目の前に他の問題がやってくると、その前で「いったいなぜこのような困難を与えられるのですか」「かえって、奴隷のままにしてくれればよかったのに」と、不信仰を言って、神様を恨みました。不信仰の言葉は、説得力があるように聞こえます。しかし、その言葉は、罪とのろいに縛られた人間を救われた神様の力より大きくはありません。神様が契約されたとおりに、イスラエル民族は紅海と荒野を通ってカナンに入りました。過越の祭りと五旬節、収穫祭の契約は、エジプトを出て荒野を過ぎてカナンに入っていく出エジプトの奥義です。
3. 礼拝の奥義を味わわなければなりません
神様の契約を見ることができない人たちは、ほとんど人の言葉に揺れています。信仰を持つならば、神様は私たちの生活に新しい答えをくださいますが、不信仰を持つならば暗やみの勢力に利用され続けてしまいます。荒野にいるイスラエル民族に、幕屋を作らせて、ただ神様を見上げるようにされました。これが、荒野を過ぎてカナンの地に入ることになる礼拝の奥義です。恐れもありましたが、神様のみことばに従ったモーセ、礼拝の奥義を逃さなかったヨシュア、へりくだって彼らに仕えたカレブがいたので、神様は彼らを通してカナン征服の答えをくださいました。
フォーラムの主題 今日、メッセージを黙想しながら、私に問題が起きたときに、どんな神様の契約を握るべきかを 点検してみましょう。