神様が与えられた喜び
使徒1:4~5│ 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。 エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
♬ 定刻礼拝のための讃美 82番 わが喜び、わが望み
初代教会の信徒は、集まれば死ぬにも関わらず、いのちがけでマルコの屋上の間に集まりました。 異端という濡れ衣を着せられて、力もありませんでしたが、心を一つにして祈るとき、神様とともにいる奥義を味わうことができました。状況は最悪でしたが、神様がなされば、何でも可能だということを信じたために、恐れませんでした。神様が与えられたまことの喜びを味わうと、死の前でも感謝するようになります。この喜びは、どこから来るのでしょうか。
1. 見た者の喜び
人間の空っぽの心に入り込んで、偽りの力によってバベル塔を築く暗やみの勢力は、良いものを与えるふりをして、人間の人生をすさまじく崩します。神様の子どもが、世の奴隷のようにさまよっていて良いのでしょうか。福音の味を味わった人は、弱い人を生かす力があり、答えられ、イエス・キリストが目に見えないように私の生活をコントロールされることを味わうので、喜びがあふれます。
2. 持った者の喜び
ほとんど、自分に問題が生じる理由は、基本が整えられていないために生まれた結果です。虚像だけを見て、自分の問題は見ることができず、人を警戒し、別のものから喜びを見つけようとします。神様が与えられる喜びを味わえなければ、神様が願われることを果たすことができません。反対に、神様が与えられたものを持つならば、まことの喜びを味わうようになります。
3. 伝える者の喜び
私がしなければならない点検は、「私は恵みを受けているのか。不信仰をしているのか」ということです。恵みを受けるためには、礼拝時間に、私にふわさしい説教を聞こうとせずに、神様の御声を聞かなければなりません。神様の御声を聞くとき、初代教会の信徒が味わった、まことの喜びを味わうことができます。神様は、福音を持った者が行くあらゆる所ごとに、暗やみの勢力を打ち砕かれ、偶像を崩されます。福音を伝える者に与えられる特別な喜びを味わわなければなりません。
フォーラムの主題 神様の御声を聞く者は、神様の喜びを味わうことができます。私の生活で、まことの喜びが何か 黙想しましょう。特に、見た者、持った者、伝える者の喜びを、今日、深く黙想しましょう。