神の子どもの基準
使徒1:14│ この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
♬ 定刻礼拝のための讃美 482番しずけき祈りの
想像もできないほどのひどい問題が起きたり、または、一人で何か選択しなければならない場合、 恐ろしさとあせる心のせいで自分の信念によって行動するようになります。初代教会の信徒は、死の 恐怖を感じながらも不安にはらず、一つに集まって祈りました。人が見るには、たいしたことではないように見えましたが、神様を信じて信頼していた者に世界福音化が成し遂げられる奇跡が起きまし た。意味の分からない事件、よくない環境、理解できない人が前にいるとき、どんな選択をすべきでしょうか。
1. 私はだれなのか
イエス様を3度裏切ったペテロは、イエス様が死なれた後、絶望の中で生活していて、元々の職に戻りました。過去に戻ったペテロをあきらめなかったイエス様は復活された後、ペテロに再び訪ねられ「わたしを愛しますか」 ヨハネ21:15 と尋ねられました。イエス様はペテロの心が知りたくて言われたのではなく、ペテロの信仰を回復させるために質問されたのでした。私のアイデンティティーを失うことは罪と死の権威に戻るのと同じです。
2. なぜ問題を与えられたのか
神様の子どもは、神様の導きを受けるために祈り、問題の中に隠された神様の計画をみことばを通して発見しなければなりません。多くの人々は、いざと問題が生じると、どのように対処すべきかさまよいます。みことばを聞くとき、どんなみことばが神様の御声であるかを判断するためには、神様の前で真実な質問を始めなければなりません。 神様はなぜ私にこの問題を与えられたのか。神様は今、私に何を願っておられるのか。この問題を通して何を悟るように願っておられるのか」真実な質問をするとき正しい答えをくださいます。
3. 私にくださった答えは何か
神様は答えを備えておられますが、暗やみの勢力はよくだまします。ヨセフが苦痛を受けましたが滅びたわけではありません。ダビデが意味のない逃亡をしたのでしょうか。自分を発見して、神様の計画を発見する機会だったのです。問題に会わなければ神様を見上げないということを知って与えられたのです。病気になったなら健康になる機会です。問題は祝福を与えられるための神様の計画です。
神様の前で私はどんな姿でしょうか。真実な祈りをささげていますか。肉の考えだけで生きてい ますか。私の考えを捨てる祈りから始めましょう。