私と世の中を見る目
使徒1:1~8│ 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。 エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」 (4~5) ♬
定刻礼拝のための讃美 539番 わが身ののぞみは 学生ならば、
勉強がよくできて良い学校に通いたいと思い、社会人ならば、やりたい仕事に就くこと や安定した職場を希望します。しかし、環境がよくなかったり、苦しい生活をしていると、生きる力も湧いて来ず、良くない環境だけ見ると、神様と両親を恨むようになります。 私の生活を導かれる神様が、本当におられるのだろうか」という不平を言って、気分が良い時には答えだと言って神様を求め、良くない時は神様を信じません。思うとおりにならない生活、どうすればいいのでしょうか。
1. 福音の確信
イエス様が弟子を教えられるとき「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と質問されました。弟子たちはそれぞれの考え通りに、エレミヤ、バプテスマのヨハネ、預言者の一人だと答えました。しかし、イエスがキリストであるという信仰を持っていたペテロは、主は生ける神の御子キリストという確信のある告白をしました。私の考えと知識は、生まれ育った背景によって、または、知っていることによって異なって表現されるため、祈りを通して私の考えを神様が与えられた考えに変えなければなりません。私の考えを捨てるほど、神様の知恵が生まれます。
2. 聖霊の導きの奥義
考えが多い人は、他人と妥協することが難しいです。妥協できずに、自分の意見だけを主張する人は、どんな問題でも事実どおりに見る目がなく、高慢です。神様は高慢な人を嫌います。私のレベルと基準では世の中を生きることができず、正しい道へと進む知恵もありません。神様の子どもが生き残るためには、聖霊に導かれなければなりません。
3. 聖霊の満たしの力
聖霊の満たしは、神様が与えられる力です。聖霊の満たしの奥義を味わったヨセフは、奴隷生活をしながらも、神様が与えられた環境だと考えました。聖霊に満たされたダビデは、神様が計画されたことだと知っていたため、死の前でも恐れませんでした。神様が与えられた力は、人が知らない力です。聖霊に満たされるために祈ると、私の考えが神様が願われる考えに変わり、考えが変わると、どんな瞬間にも信仰を選択するようになります。この力を持つとき、私も生かされて、環境も変わり、世界も変わります。
どんな考えを持って生きていますか。肉の問題のために、神様が与えられた祝福を逃してはいな いか、黙想してみましょう。