私を生かす礼拝
民15:32~36 すると、主はモーセに言われた。「この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。」 (35)
定刻礼拝のための讃美 / 489番 のぞみも消えゆくまでに 世の中には予期せぬ苦しみと危機、暗やみの文化が攻撃し、誘惑して来ます。Remnant 7人が問題の前で倒れなかった理由は、主がともにおられるという確信があったためです。自分を振り返って神様の力を正しく体験したかを点検し、礼拝をささげて祈りをしているにもかかわらず何の答えもなく葛藤の中で生きているなら、まことの答えを見つけなければなりません。
1. 24時味わうこと
重要な答えを受けて神様に用いられた者は、神様がともにおられることと聖霊の働きを生活の中で味わいました。24時、私たちの生活の中で一番気楽で幸せに私とともにおられる神様を味わうならば、神様のより大きな計画と証拠を見るようになります。もし病気になっていたり苦しみが大きいなら、神様を体験する機会です。24時祈りの奥義を味わいながら、目に見えないように働いているサタンの勢力を打ち砕いて、天国の背景を味わう祈りを始めることです。神様は目に見えないように聖霊によって働いておられ、私たちの身分が回復され、答えられるようになることを待っておられます。
2. 生き返ること
私たちが受けるべき罪とのろいは、イエス・キリストによって十字架で解決されましたが、まことの感謝は回復していません。礼拝は私の罪を解決された神様に感謝を回復する時間であるために、怒りがわきあがってきたり力が抜ければ抜けるほど礼拝を回復し、私の考えが先走れば走るほど祈りの奥義を知らなければなりません。礼拝を通して祝福を回復して、祈りを通して間違った考えを変えてこそ生活が正しく生き返ります。聖霊によってともにおられるキリストの奥義が生活で味わえるとき、霊的な事実を知ることができます。
3.現れること
問題や事件が起きるとき、また人生の峠や死の危機を感じたとき、内面にある本来の姿が現れます。そのため不信仰をしたり試みに陥ると失敗の道を歩きます。7人のRemnantと初代教会の信徒は、死の前で恨まずにどんな現場でも感謝する心で神様がともにおられることを味わいました。どんな瞬間でも勝利することができたのは、日ごろから神様の恵みを味わっていたためです。神様の祝福を受ける者ならば祈りの概念を神様の基準に変えて、どこへ行っても神様がくださった祝福を味わうことができます。この祝福が私のたましい、からだに現れて他人にも伝えられると、私の生活と現場に神様がともにおられる奥義を伝道を通して味わうようになります。
-重要なことがありますか。苦しいことに会いましたか。すべての問題の解決者であるキリストの契約を握って神様の前に立ってみましょう。今も聖霊によって働かれる神様を24時味わうことができます。 インマヌエル教会 聖日1部 / 2011.11.6