特別な恵み
民8:5~13 レビ人は、その手を雄牛の頭の上に置き、レビ人の罪を贖うために、一頭を罪のためのいけにえとし、一頭を全焼のいけにえとして主にささげなければならない。あなたはレビ人をアロンとその子らの前に立たせ、彼らを奉献物として主にささげる。 (12~13)
定刻礼拝のための讃美 137番 罪に満てる世界
神様が私たちに与えられた恵みには、二種類があります。一つは、信徒と未信者関係なく、だれでも受けられる一般的な恵みであり、もう一つは、神様の子どもだけが受ける特別な恵みです。簡単に言うと、熱心に努力して全力を尽くすと、豊かに生活して、勉強もできるかもしれません。しかし、生きているうちに、ある日、熱心と努力、全力を尽くしても解決できない霊的な問題にぶつかります。これを解決して、罪の中に陥った私たちを救うために、神様はキリストを遣わされました。キリストを信じて救われた者に、神様の特別な恵みが臨むようになります。それならば、特別な恵みは何であり、なぜ受けなければならないのでしょうか。
1.特別な恵み
多くの人が霊的な問題を肉体的に考えて解決しようとします。そのため、問題は重なり続け、多くの苦しみにあいます。聖書は、女の子孫が蛇の頭を踏み砕くこと(創3:15)と、血のいけにえをささげる日にエジプトから解放されること(出3:18)、処女が身ごもって男の子を生むこと(イザヤ7:14)、主は生ける神の御子キリスト(マタイ16:16)であることを続けて記しています。このみことばを信じるとき、救われた者に与えられる神様の特別な恵みである聖霊の内住、導き、働きを味わうようになり、行くあらゆる所において暗やみの勢力は崩れ、力を受けて、地の果てにまで証人となる祝福を味わうようになります。多くのクリスチャンがこの祝福を逃して、未信者のように生きています。
2.礼拝を通した確認と味わい
神様が私たちに与えられた特別な恵み、すなわち、キリストであるイエス様をいつ味わうことができるでしょうか。その時間は礼拝です。礼拝は、十字架の力を体験する時間であり、神様の前で特別に区別された時間です。また、神様により近づいて、親密感を体験する時間です。礼拝を回復すると、一度だけの人生の中でまことの道を知り、神様の子どもの祝福を味わうようになります。
3.正しい信仰生活
私たちが行くあらゆる場所に、出会う人にキリストが必要であることを見る目が重要です。ユダヤ人は律法を守って救われると錯覚し、自分の義によって生きたために、罪とサタンが何かを知らず、神様の恵みとキリストの必要性も知りませんでした。聖書は、キリストについて記していて、伝道はすなわちイエスがキリストであることをあかしすることです。また、キリストが私の人生の主人となることを告白することが信仰生活です。
- 福音を通して私に実際に起きた霊的な祝福が何かを黙想しましょう。私の最近の礼拝生活はどうですか。一人でささげる礼拝、共同体とともにささげるまことの礼拝を回復しましょう。
インマヌエル教会 聖日1部 / 2011.9.18