まことの献身
Ⅰ歴代 29:10~14 まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても、すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。(14)
定刻礼拝のための讃美 / 138番 王の王わが主の
伝道者の生活をどのように送っていますか。伝道者の生活を送るためには、福音に対する正しい理解が必要です。福音をどのように理解するのかにしたがって、すべての考えと行動が決定し、祈りの色と内容、方法まで変わってきます。福音の正しい理解と祈りの味わいにしたがって出てくる生活があるのですが、それが献身です。まことの献身は、福音と祈りを正しく理解して味わう生活から出てきます。まことの献身のために私たちが逃してはならないことは何でしょうか。
1. まことの献身はまことの答えを受けます
ダビデが急に勇気を得てゴリヤテと戦い、神殿を建てる準備をしたわけではありません。幼い頃から両親から聞いてきた契約と、サムエルと出会い、王として油を注がれて神様の契約を覚えました。苦しみにあったときも揺れることなく、羊を飼うときには羊飼いらしい生活の規律と使命感を持って行動しました。ダビデは、サムエルを通して契約の箱と神殿に対するみことばを聞き、それを心にとめて生涯の願いとして握り、すべての力を注ぐまことの献身をしました。
2. まことの献身は最高の祝福を受けます
献身を誤解するとすべてを捧げなさいということばのように聞こえます。献身とは、すべての祝福と答えを受けたため可能なもので、まことの献身の中には神様の最高の祝福が隠されています。イエス様は、小さな者にあげた水一杯も決して報いを失うことはないと約束されて、伝道者パウロは、私の労苦が主にあってむだでない(Ⅰコリント15:58)と告白しました。イスラエルが滅びた理由は、献身の使命を逃したからで、中世教会の失敗も権力と金銭に目が暗くなってまことの献身を逃したからです。
3. まことの献身は教会を生かすことです
「神様の契約の箱は置く場所がなくて天幕の中にあるのに、私はよい王宮に寝ようとしているため、眠りにつくことができない」というのがダビデの告白でした。これが、私たちの祈りにならなければなりません。福音を伝える教会がなくなれば、霊的問題は深刻になり、多くの人が自殺と精神問題、経済問題、家族間の不和で苦しみにあいます。神様の教会は個人と家庭、国家と世界の災いを防ぐ唯一のものです。まことの献身を通して正しい教会を立て、福音があかしされることが神様の最高の願いです。
-まことの献身というみことばを深く黙想してみてください。そして、私は教会のためにどんな献身をするべきでしょうか。
伝道学メッセージ / 2011. 7. 16