救われた者のまことの望み
ピリピ3:12~14 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(13~14)
定刻礼拝のための讃美 / 539番 わが身ののぞみは
私たちが望みを見ることができなければ、落胆してしまったり、力が抜けたりします。反対にいくら難しい状況にあっても、望みを見ることができれば、力が出ます。救われた神様の民は、神様が私とともにおられることを考えて祈るとき、答えを受けます。私たちの状態を神様に真実に告白すれば、神様は救われた者にまことの望みを見せてくださいます。
1. 救われた者のまことの望み
監獄の中でまことの望みを発見したパウロは、キリストの御手で捕えられたので、捕えようと追求し、上に召してくださる神の栄冠を得るために走って行くと告白しました。ヨセフは家庭の困難をおいて祈って、まことの望みを見て揺れませんでした。また、奴隷生活や監獄でも落胆しませんでした。ダニエルは、死の前で揺れませんでした。無知で貧しかったペテロも、救われて祈ってまことの望みを見ました。日本の神社参拝を反対して殉教したチュ・キチョル牧師も、まことの望みを見たので信仰を守りました。
2.まことの望みを持った者の背景
神様がくださったまことの望みを持った者は、自分のアイデンティティーと背景を知るようになります。上に召してくださる神の栄冠を得るために走って行くということは(ピリピ3:14)、まことの望みを持った者の背景は天の背景だということです。また、行く所ごとに神様が天の御使いを送って働かれます。霊的な力を供給してもらう祈りの背景と、暗やみの勢力を打ち砕くのが伝道の背景です。主が呼ばれるとき、天国の御座に行く御座の背景です。
3.まことの望みを持った者の使命
まことの望みを持った者は何をしなければならないかを知って、まことの望みを他の人に伝えなければなりません。困難を受けている人に救われた者が味わうまことの望みを言うことが使命です。
- 私のまことの望みは何でしょうか。まことの望みを持った者として、私が持った背景と使命を深く黙想してみましょう。
インマヌエル教会聖日2部/ 2011.7.3