安息の年とヨベルの年
レビ 25:1~7 ついで主はシナイ山でモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。わたしが与えようとしている地にあなたがたがはいったとき、その地は主の安息を守らなければならない。(1~2)
定刻礼拝のための讃美 / 169番 流れる川のごと
幼い乳飲み子に必要なことは、多くのお金や宝石、美しい服ではなく、お母さんの母乳であり、愛です。霊的存在である人間は、目に見えるお金や名誉、人気ではなく、神様がくださるまことの安息と喜びが必要です。人間のすべての人生と未来は神様の御手にあるからです。生きていれば、予測が不可能な多くのこと、理解できないことが起きますが、そのとき「私にまことの安息と喜びが必要だな!」ということを悟れば良いのです。神様はなぜ、まことの安息と喜びを見つけ出しなさいと言われるのでしょうか。
1. 創世記3章の原罪の問題は、避けることができない災いです
人間は戦争とテロ、飢謹と災いの問題を防止することはできません。科学と時代が発展しても、個人の終末、時代の終末、地球の終末を避けることはできません。それだけではなく、創世記3章の原罪の問題は、次世代に霊的遺産になって、そのまま伝えられます。
2. 神様はまことの安息とまことの喜びを与えることを願っておられます
まことの安息とまことの喜びは神様だけが与えることができます。安息の年(七年に一回ずつ土地を休ませること)とヨベルの年(安息の年を七回数えた、その次の年)は、どんな奴隷も解放して、借金も減らしなさいと言われました。霊的な意味で、重く苦しい罪から解放されて(マルコ10:45)、サタンに奴隷になった絶望状態から抜け出して(Iヨハネ3:8)、神様が与えられるまことの安息と喜びを味わいなさいというみことばです。このために、キリストであるイエス様がこの世に来られたのです。
3. 正しい福音にあって始まります
神様が世の終わりまでともにいてくださり(マタイ28:20)、サタンに勝つ権威と(マルコ3:15、ルカ10:19)万物を動かせる権威をくださいました(ピリピ3:21)。この事実が信じられる日、問題は解決されます。信仰で答えを受けるのが神様の方法であるためです。五旬節にマルコの屋上の間に臨まれた聖霊が、私の中にともにおられるとき、悟ることができる知恵をくださいます。したがって、私だけの聖霊の満たしを見つけ出すことが重要です。正しい福音にあって、喜びと安息も大きくなります。
- 私の中にまことの安息と喜びがあるでしょうか。神様だけがまことの安息とまことの喜びをくださる方であることを告白して、その中でどのように私たちの未来を発見することができるかを祈ってみましょう。
インマヌエル教会聖日1部/ 2011.7.3