私の中で行われる方
ピリピ2:12~18 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。 (13)
定刻礼拝のための讃美 / 356番 すくいぬしはわがため
古代のいけにえをささげる慣習の中で、ぶどう酒をささげものに注ぐ行為を注ぎの供え物(灌祭)と言います。パウロはこの行為を連想させて、自分の殉教を暗示しました。ピリピの信徒の信仰と信仰生活のゆえに、自分を犠牲のいえにえ、注ぎの供え物としてささげるとしても、恐れずに、むしろ喜ぶと告白しました(ピリピ2:17~18)。自分を注ぎの供え物としてささげても喜ぶというパウロの告白は、何を表しているのでしょうか。
1.霊的な状態
祈りの答えを受けるためには、霊的な状態が重要です。福音の中で私の霊的な状態がどのようであるかによって、多くのことが変わるためです。ヨセフは、奴隷生活と牢屋の中で主がともにおられることを味わう幸運な人でした。サムエルとダビデも、幼い時から神様のみことばを慕って味わいました。私の霊的な状態が正しくて、すべての瞬間に霊的な力を得ると、どのような危機にあっても勝つことができます。
2.心の状態
死んでも良いという告白は、パウロの心の状態、すなわち、中心の状態を言います。死ぬかもしれない牢屋の中で、パウロは三つのことを言いました。「自分の救いの達成に努めなさい。(ピリピ2:12)」。達成に努めるということは、ギリシヤ語でエペコと言いますが、堅く握りなさい、目標としなさい、注目しなさいという意味です。すなわち、救いを堅く握りなさいということです。「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。(ピリピ2:14)」。これは、悪意のある心で不平を言う態度を持ってはならないということです。「私が注ぎの供え物になっても(ピリピ2:17)」、すなわち、殉教してもよい、恐れることがないということです。これがパウロの心の状態でした。
3.生活の状態
牢屋の中にいたパウロは、ピリピ教会に神様のみことばを伝え、最高の答えを味わいました。それだけでなく、パウロは数多くの迫害の中で、幾度の危機に遭遇しましたが、何も恐れない霊的な状態と心の状態、生活の状態をキリストの中で味わうことによって完全に勝利しました。
- 私の霊的な状態が正しくて、霊的な力を得ると、肉体と環境が変わります。この祝福を24時祈りを通して幸せに味わうことのできる方法を探してみましょう。
インマヌエル教会 聖日2部 / 2011. 6. 5