切なる期待と願い
ピリピ1:19~30 それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。 (20~21)
定刻礼拝のための讃美 / 542番 主よ、わが見しゆめ
イエスは「あなたの信仰のとおりになるように」と言われました。礼拝ごとに正しい信仰を持って礼拝の祝福を回復しなければなりません。礼拝のときに恵みを受けることだけで良いのです。そうすると伝道とともに答えを門が開かれ、みことばが成就され、弟子が起きて現場が変っていく祝福を味わうようになります(使徒2:1~47)。答えられる信仰生活のために私がすべきことは何でしょうか
1. 転換点(使徒 9:1~15)
私たちは人生の転換点を作らなければなりません。信仰の父アブラハムは、いつも自分の考え、自分の信仰を優先したので苦しみにあいました。このとき、アブラハムが神様の前に祭壇を築いて信仰の決断をしました。パウロはキリストを信じる人を迫害してダマスコへ行く途中、キリストに会って人生の転換点を迎えました。私たちは人生と信仰の転換点を見つけなければなりません。
2. 切実さ(ピリピ 1:19~30)
パウロは生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることを願うと告白しました。これは暗やみの勢力を打ち壊す告白です。またパウロは天国に行くことがはるかによいことだが、福音に益であるなら生きることもよいと言いました。つまり、伝道する理由がなければ死んでもよいと言うことです。そして、福音のために祝福だけではなく苦難も受けると言いました。これがパウロの願いです。
3. 確信(ローマ 16:1~27)
神様を信じる信仰には三つあります。一つ目、救われる信仰です。イエスがキリストだという事実は信じられる人だけが信じます。二つ目、神様の力を信じる信仰があります。みことばの力と聖霊の働き、神様の力を信じる信仰です。最後に、牧師らしい信仰、重職者らしい信仰、Remnantらしい信仰を持って祈らなければなりません。たくさんのことを聞いてこなして深さ、広さ、高さを見ることができる信仰を持たなければなりません。特にRemnantは今が機会であることを知って、人生をかける信仰を持たなければなりません。そうすれば、神様の働きが起きて勝利するしかありません。
- 私の切なる期待と願いは何ですか。救われた神様の子どもが持つべき願いは何かを考えてみましょう。
インマヌエル教会聖日2部 / 2011.5.15