重職者宣教時代
Ⅲヨハネ1:1~2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。 (2)
定刻礼拝のための讃美 / 511番 わが主イエスよ
信仰生活は三つのことを味わうことです。一つ目に、祈りは神様とともにいることです。問題と迫害がやってきたときに神様を探すのではなく、日々神様の御声を聞かなければなりません。二つ目に、みことばは聖書に記録された神様のみことばです。礼拝の時ごとに、講壇のみことばを通して神様の御声を聞くことであり、人のことばの中でも神様の御声を聞かなければなりません。三つ目に、伝道は神様が私とともにおられることを生活の中で味わうことです。初代教会は、どのようにしてこの答えを受けて、味わったのでしょうか。
1. マルコの屋上の間に集まった人たち
初代教会の信徒がともに集まって祈ったのは、迫害や死を覚悟していたということです。ここに集まった重職者と弟子は、問題が答えの通路だという事実を知っている人たちでした。イエスがキリストだという事実を契約として握り、神の国を味わいました。五旬節の日に、彼らがともに集まって祈ったときに、聖霊に満たされる働きが起きました。この答えを受けた人たちはみな、いのちをかけました。
2. 迫害を受けたときに、伝道の門が開かれました
神様は、ダマスコにいるアナニヤという重職者を呼ばれて、イエスを信じる人を捕まえようとしていたパウロをつけてくださいました。神様がアナニヤを呼ばれて用いられたように、契約を持った私たちがどこにいたとしても、呼んで用いてくださいます。神様は、神様は迫害を受けて問題がきたときに、本当の答えを与えてくださいます。特に迫害を受けたときに、伝道の門が開かれました。今から私たちは、神様がくださる祝福の恵みを味わって待てばよいのです。
3. 大きな患難にあったときに、宣教の門が開かれました
神様は、宣教の門を患難のときに開いてくださいます。ステパノの患難によってアンテオケ教会が立てられて、アンテオケ教会を通して世界宣教の門が開かれました。初代教会は、宣教師を派遣して、マケドニヤ地域とローマまで福音化されるように中心的な役割を果たしました。患難の時に重要な答えが起きるので、苦しみや問題、患難がやってきたとしても、落胆したり、不信仰に陥ったりしてはいけません。神様は、伝道と宣教のためのよい計画を持っておられます。
- 私が重職者として立てられるならば、どんな契約を握るべきでしょうか。私を通して神様のみことばが成就して、数多くの伝道弟子が起こされて、伝道と宣教の答えが始まるように祈ってみましょう。
世界産業人大会 1講 / 2011.4.13