神様の御前で
レビ10:1~7 さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。 (1~2)
定刻礼拝のための讃美 / 427番 日ごとよろこび
世の中に永遠なものはありませんが、神様のみことばは永遠であり、必ず成就されます。永遠なみことばの最高の約束は何でしょうか。それは、必ず神の人は成功するということです。今、私の前の苦しみがすべてではなく、契約を持つ私に勝つようにされることが、神様の計画です。信仰生活は人とともにすべきですが、私の信仰は、神様の前に立たなければなりません。神様の前に立つ信仰生活とは何でしょうか。
1.幕屋中心の信仰生活
信仰生活は、人ではなく、神様の前でしなければなりません。私の人生のもっとも重要なことを、神様の前に立たせなければなりません。幕屋中心の信仰生活とは、契約の前に立つことを言います。私たちの信仰の対象は、ただ神様であるため、苦しい問題があっても、人に頼らずに、神様に頼る奥義が必要です。幕屋には、契約の箱とともしびがあって、三つの祭りの祝福があります。契約を握って、みことばの光に従って聖霊に導かれると、勝利します。
2.神様中心の信仰生活
本文のナダブとアビフは祭司でしたが、人中心の信仰生活をして死にます。特に、主のしもべは他のともしびを灯してはなりません。ともしびは光、すなわち、キリストのいのちであり、油は聖霊の働きを意味します。ともしび中心で神様の前に立つべきですが、他のともしびをつけることは、すなわち、のろいの道です。人中心、人基準、私の水準でする信仰生活は失敗します。サタンは、神様の子どもになった私の中心を邪魔します。私の基準と水準と考えが神様中心になるとき、まことの信仰生活が始まります。
3.聖霊中心、
祈り中心 教会は聖霊中心、祈り中心に立つとき、生かされます。夜、ともしびをつけると、やみが去り、明るくなります。教会は昼でもこのともしびを消してはなりません。教会が聖霊の油とキリストのいのちの光を照らす祈りの奥義を24時間味わうと、福音が必要な者が伝道の使命を果たすことができます。神様に届ける祈りの力を味わうことが、信仰生活です。聖書の中の福音の人がみなそうでした。聖霊と祈りが中心になると、人も生かし、自分も生かすことができます。
- 私の信仰生活は、「神様の前」なのか、「人の前」なのか、点検しましょう。今日のみことばと祈りと伝道を神様の前で新しく始めてみましょう。
インマヌエル教会 聖日1部 / 2011.3.20