血を塗るようにされた理由
レビ8:15~28 こうしてそれはほふられた。モーセはその血を取り、指でそれを祭壇の回りの角に塗り、こうして祭壇をきよめ、その残りの血を祭壇の土台に注いで、これを聖別し、それの贖いをした。 (15)
定刻礼拝のための讃美 /186番 十字架の血に
科学が発展して、世の中の知識と情報も増して行く時代ですが、すべてがあっても、一つはありません。熱心に勉強して、自己啓発をしながらどんなに努力しても、この世で起きる災いと個人を崩す霊的な問題がなぜ起きるのか、どのように解決するのかは分かっていません。それによって、多くの人が家庭問題、精神問題で苦しみ、うつ病患者は日に日に増していて、多くの青少年がさまよっています。この時、なぜイエス様だけが道となり、教会がどのような使命を果たすべきなのか、私が得るべきまことの力は何かを正しく知ることが重要です。
1.幕屋中心として生活しなさい
クリスチャンの生活の中で、もっとも重要なことは礼拝です。レビ記は、礼拝といけにえをささげることに関する記録であり、人生全体をおいて、神様に祝福される礼拝を正しく知って味わわせるためのものです。私が知らなくても、私の霊的な背景となる問題を変える道は一つしかありません。イエスがキリストであることを知って信じるべきです。信じる者だけが味わうことができるものが、礼拝です。そのために、まず、悩みと不信仰から捨てなければなりません。幕屋中心として、キリストを味わう礼拝中心として生活することが、神様の子どもが味わう祝福です。
2.祭壇の角に血を塗りなさい
教会のもっとも重要な使命は、福音を正しく理解して伝えることです。この祭壇の角は、だれでもつかむと生かされるものでした。いつでもキリストの前に立ち返ると、生かされます。災い、地獄、サタンの権威から逃れるキリストの契約の血が、教会に流れるようにしなければなりません。そのため、貧しい者、傷ついた者、体の不自由な者、目の見えない者も、教会の祝福の中に入ると生かされます。神様の手に握られた教会は、正確な十字架と福音の中で、Onenessを成す教会です。
3.祭司の体に血を塗りなさい
教会に仕える教役者の中心に福音が必要です。教会と、信徒に仕える教役者は、救いの感激と感謝があふれなければなりません。教役者や重職者、Remnant、Remnantの両親まで、すべてのクリスチャンは、血しおの力が流れる者です。契約の血によって、新しいいのちのある者です。キリスト中心と幕屋中心で、伝道者の生活を生きる現場に、神の国が臨み、すべての暗やみの権威が崩れます。
- 福音と十字架事件が、実際に私とどのような関係があるかを考えてみましょう。
インマヌエル教会 聖日1部 / 2011.3.13