教会を生かす伝道者の生活
使2:1~4 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。(1)
定刻礼拝のための讃美 /245番 栄えに満ちたる
「五旬節の日になって」ということばの意味は、初代教会がいよいよ誕生したという意味であり、神様がヨエル書に預言されたみことばが成就したということで、これから世界を変化させるという意味にもなります。初代教会はキリスト、神の国、聖霊の満たしという契約を握って、時代を生かす神様の時刻表に集中しました。初代教会は今日の教会と何が異なっていたために時代を充分に生かすことができたのでしょうか。
1. 初代教会が持っていたもの
一番目、初代教会は結論を持っていました。どんな人でも結論を知っていれば揺れません。初代教会が持っていた結論はキリストです。問題にあうときも、答えがくるときも、重要な人に出会うときや事件が起きるときも、結論であるキリストを握ればよいのです。二番目、初代教会は一番確実な神様の方法を持っていました。私と教会を生かして、現場を生かす最高の方法が神の国です。三番目、初代教会は結果を知っていました、ただ聖霊が臨まれると力を受けて地の果てにまで証人となります。これが初代教会が持っていた結果です。
2. 初代教会が行なったこと
初代教会は教会と現場を生かすために行なったことがあります。すべての弟子が自分の現場に入って地域を生かす地教会を所々にたてました。このとき、エルサレムだけではなくすべての地域を生かす答えがきました。
3千人の弟子が起きて、時代的な重職者がたてられることによって、地域ごとにコルネリオ、テモテ、ルデヤ、ヤソン、プリスカ夫婦のような地域を生かす弟子が起きました。これが教会を生かす神様の方法です。
3. 初代教会が味わったこと
初代教会は牧会者と重職者、産業人とRemnantが一つになりました。彼らはどのように教会を生かし、時代を生かしたのでしょうか。初代教会は現場の弟子と牧会者が交わすみことばが通じて、祈りの課題が通じて、人と現場を生かす伝道方向が通じました。そして神様がなぜ私をこの地域に置かれ、なぜ人に出会うようにされたのか、個人に向けられた神様の裏面契約が通じました。初代教会の弟子はすべての生活の基準が通じて、すべての栄光を神様に帰しました。
-教会を生かすために今日私が持つべきこと、行なうべきこと、味わうべきことを深く黙想しましょう。
台湾集会2講 / 2011.2.1