日と月を止める信仰の人
ヨシュア10:10~14 民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出てくることを急がなかった。主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。(13~14)
定刻礼拝のための讃美 / 94番 主イエスは誰でしょう
一生を送る中で、大小さまざまな問題にあい、考えもつかなかった葛藤が起こったりします。私たちは、落胆することやあきらめたいこと、否定的な考えによって葛藤しているのではないか、よく見てみるべきです。人間関係といろいろなことの中で、私の体質と気質を知らなければなりません。ヨシュアはどうだったでしょうか。荒野にいるときに神様を知り、モーセを通して契約を聞いて、大きな信仰を持っていました。指導者ヨシュアには、すでに神様のみことばが臨んでいて、約束の地を治める先にもあとにもない信仰の人として備えられていました。
1. インマヌエルの契約を握った祈り
危機と問題の前にいたら、意気地なく祈りだけするように思えるかもしれません。ヨシュアは、大きな戦争の日に、神様の前で大胆に祈りました。窮地に陥って祈ったのではなく、生きておられる神様、全能者である主の前で契約を握って祈ることが最も重要なことだと知っていました。私の人生の主人である神様と、万物を治めておられる神様を認めて、すべてのことで優先を見つけるようにすれば、私たちとともにおられる神様の祝福を知るようになります。信仰を持ったヨシュアの祈りは、日を止め、月を止める最高の答えとして表れました。
2. 神様の計画を知っている祈り
イスラエルの民が出エジプトをしたあと、カナンの地に入ることは神様の計画でした。この約束は、アブラハムの時から伝えられていました。この約束は、イスラエルとともにおられ、ひとりとして立ち向かうことのできる者はいないということと、メシヤを送る地に送るという約束でした。モーセを通しても確認させてくださった計画です。ガデシュ・バルネアの荒野で十二人の偵察隊の意見の食い違いを、モーセを通してもう一度確認された神様のみこころでした。モーセが死んだあと、指導者として立たされたヨシュアは、正確な神様の計画を知って信じました。神様のみこころ通りにする祈りは、先にもあとにもない答えを受けます。ここで、ひとつ覚えておくことがあります。神様の人は、霊的な事実を知っている人です。肉体的な部分と同じように、霊的な科学があります。神様の子どもが祈る時に答えをくださるのは、霊的な科学の中の科学です。この事実を知って、日々祈りの奥義を味わうことが伝道者の生活です。
- 霊的な事実を正しく知って味わう伝道者の生活は、完全な信仰です。私に与えられた今日のみことばを信じて祈りながら、私にある不信仰が何なのか自分を点検してみましょう。
インマヌエル教会聖日1部 / 2011.1.23