礼拝する生活と罪のためのいけにえ
レビ4:1~12 「イスラエル人に告げて言え。もし人が、主がするなと命じたすべてについてあやまって罪を犯し、その一つでも行った場合、もし油そそがれた祭司が罪を犯し、民が咎を覚えるなら、その人は自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、罪のためのいけにえとして主にささげなければならない。(2~3)
定刻礼拝のための讃美/ 28番 いのちのいずみに
人間ができることの中で、最も重要で美しいことが「礼拝」です。それでは、何を次世代と子どもたちに伝えなければならないのでしょうか。失敗と霊的問題は違うものです。どんな場合でも、子どもが霊的問題にさらされ、奪い取られるのをそのままにしておいてはいけません。そのため、今日、私が礼拝の祝福を回復することが重要です。我慢すれば我慢するほど、他の葛藤がやってきて、努力すればするほど他の面から問題がやってくるようになります。神様のくださる力がなければ失敗するようになります。
1. 礼拝中にくださる答え
礼拝がうまくいかないというのは、何かを逃しているということになります。イエス様に出会い、答えを味わっていた人々 -盲目バルテマイ、長血をわずらっていた女、ザアカイ、百人隊長-は、ただ祈ったのではなく、すでに答えを持っていました。礼拝しに行く時に、すでに答えを知っている人が必ず答えを受けるのです。神様の人たちに、問題はすべて答えになります。病気になった時は神様の力を体験する機会であり、孤独を感じる時はインマヌエルを味わう機会で、力がないならば聖霊の満たしを受ける機会になります。一人でいる時や、共同体とともに、私の現場で礼拝する人は常に答えられます。
2. 早くやってくる答え
答えが最も早くやってくる方法があります。神様の前で、他人の過ちではない、自分自身の過ちを早く悟る時に、神様はみこころを変えられて、最も早く答えられます。罪と呪い、災いの問題は、絶対に他の解決の道がありません。そのため、神様がキリストの血によって、すべてのものをなくすと約束されました。祭司長も、族長も、会衆たちも例外なく、血の契約の中で自分の過ちを悟って直すと、それがかえって祝福の土台になる答えを味わいました。
3. 現場での答え
個人の生活と、仕事と幕屋の祝福がつながるならば、私の過去と現在と未来が見えて、とても個人的な生活の中でも、伝道者の生活を味わうようになり、キリストがキリストになる答えが実際に起こります。礼拝を通して、神様はご自分の計画を成し遂げていかれます。キリストの血潮を信じて礼拝をささげる時に、すべての呪いが断ち切られて、争うことなく勝利して、現実を正しく見て、答えにも傲慢になることなく、さらに大きな明日を見上げる弟子の祝福を味わうようにされます。
- 私の礼拝する生活を点検してみてください。キリストの血の契約の奥義がある産業、学業、生活なのか点検をして、真の礼拝者になることを決断してみましょう。
インマヌエル教会聖日1部 / 2010.12.26