光が臨む日
ヨハネ1:1~14 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。(9)
定刻礼拝のための讃美/ 122番 神の御子は今宵しも
本文には、まことの光が暗い世にやってきたと書かれてあります。この光はいのちであり、心に受け入れた瞬間、神様の子どもになると語られました。この光が、まさにイエス・キリストです。イエス・キリストがこの世に来られたというのは、何を意味するのでしょうか。
1. まことの光が臨んだとはどういう意味でしょうか
私たちは釈迦や孔子、ソクラテスのような聖人から、多くのことを学ぶことができます。立派な人がどれだけ多くいても、人生の問題を解決することはできません。これを神様は知っておられ、私たちを救うためにキリストをこの世に送ると約束されました。唯一、イエス様だけが、キリストとしてこの世に来られたのです。多くの宗教が、占いをしながら運命にとらわれていますが、キリストは私たちの運命を完全に打ち砕かれました。多くの宗教が、悪魔に仕えて悪霊にとりつかれるようにしているのですが、キリストは悪魔のしわざを打ちこわされました。多くの宗教が、一生懸命に努力をして、徳を積まなければならないと教えるのですが、キリストは罪と呪い、地獄の権威にいた私たちを救い出してくださいました。私たちが永遠に滅亡することのないように、キリストが人となって、この世に光として、聖書の預言どおりに来られました。
2. 救われた人は、どのように理解するべきでしょうか。
聖書には、未信者が見ても良いと思うような部分もあります。しかし、救われていない人が見たら全く理解できない部分がほとんどです。また、救われた人が、霊的な目を開くことができなかったら、理解できない部分もあります。イエス様が、この世に光として来られました。神様が、肉体を持ってこの世に来られたのです。そして、十字架で血を流して死なれることにより、すべての罪をゆるされ、三日目に復活して、天の御座に座られました。この事実は、救われた人だけが知っている霊的な奥義です。
3. 伝道者はどのように理解するべきでしょうか。
この世で多くの人が、偶像に陥って滅亡するしかない時に、神様がキリストを送られました。世の中には、多くの宗教があるのですが、キリスト教も宗教になってしまうならば滅びてしまいます。この世に多くの災いが起こっています。初代教会が命をかけて信仰生活をした理由は、災いを防ぐ唯一の方法がキリストの福音だったからです。そのため、信仰生活に命をかける理由があります。霊的な目を開いた人だけが、その理由を発見できます。
- 私に臨んだまことの光を黙想して、私を通していのちの光が他の人と世の中に伝わるように祈ってみましょう。
インマヌエル教会聖誕礼拝/ 2010.12.25