神様にならう者
エペソ5:1~2 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
定刻礼拝のための讃美/ 507番 主の心にしたがい
私たちが神様にならうことができるでしょうか。パウロは、神様にならう者となるように言いました。「神様にならう」とはどういう意味でしょうか。本文で「キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました」と言われました。今日、私たちは、このみことばを握ってどのように始めるべきでしょうか。
1. 個人の始まり
神様が私たちに代表的な祝福をくださって、他の人を生かすモデルとして呼ばれました。神様は、まず私たちにキリストをくださいました。キリストの奥義を持っている者が、神様のみことばを個人的に握るならば答えがやってきます。一日に一度だけでも、私たちは神様のみことばの前に立つ時間を持たなければなりません。神様が、今日私たちの問題と状況を見ながら何と言われるのでしょうか。これを探し出すことが、今日のみことばです。このときに、神様の働きが始まり、現場の人を生かし、世界を変える代表的な答えがやってきます。
2. 教会の始まり
教会に正しい答えが与えられ、神様の力が表れてこそ教会に属した個人が生かされます。初代教会は、イエス様のくださった約束を握って、ともに祈りながら、五旬節の聖霊の働きを体験しました。このときに、伝道の大きな門が開かれ、みことばが成就して、3千人の弟子が立てられて、現場を変える答えを受けました。さらに、マケドニヤ、ローマまでを生かす正しい宣教の祝福も受けました。苦しみがやってきたときは、さらに大きな答えを受けました。これが、今日私たちの教会が初代教会にならって新しく始める方向です。
3. 世での始まり
これから私たちは、現場に入っていってどのように始めるべきでしょうか。三つの決断をしなければなりません。まず最初に、最高に祈る人にならなければなりません。祈りは真にすぐれたものを見分けて、不信仰を捨てて信仰を選択するもので、すべてのことを機会にするものです。二つ目に、最高に伝道をする人にならなければなりません。三つ目に、最高にみことばを握る人にならなければなりません。信仰で決断をし、現場に行くならば答えはすでに来ているはずです。
- 神様が私を答えのモデルとして呼ばれました。朝に目を開いたら、祈りの手帳を通してみことばを深く黙想することが重要です。今日一日、どのように神様をならう者となるのか黙想してみましょう。
インマヌエル聖日2部 / 2010.12.19