なぜ読書しなければならないのか
詩1:1~6 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 (1~2)
定刻礼拝のための讃美 / 506番 なおもみめぐみを
木が水路のそばに根を下ろすと良い実を結ぶように、幼い時に根を下ろして刻印されたことは、一生を左右します。そのため、心の中に何が根を下ろすかがとても重要です。今から、福音の中で自分を振り返り、小さなことから実践すると、神様が一つの時代を任せる祝福を与えられます。その小さな習慣の中の一つがまさに読書です。それならば、読書はなぜしなければならないのでしょうか。
1.読書は勉強する習慣
読書をよくする子どもたちのほとんどは、勉強もよくできます。幼い時に読書する習慣を持つと、勉強をよくするようになります。聖書の人物であるテモテは、幼い時から聖書を知り、モーセは幼い時にエジプトで学問を学びました。そして、ダビデは幼い時に文を書きながら神様をほめたたえ、パウロも幼い時にエリート教育を受けました。このように、読書は勉強する習慣であり、重要なものです。
2.読書は黙想の始まり
読書は黙想の始まりです。読書すると、多くを考えるようになり、それを通して黙想することができます。ダビデは、主のおしえを喜びとして、昼も夜もそれを口ずさみました。
3.読書は出会いを味わうこと
読書は過ぎ去った時代の人、遠くにいる人、知らない人などに出会う道になります。また、読書を通して、限りないインターンシップができて、知らない分野も知ることができます。
4.読書はいやす道
気が散ったり、霊的な問題がある人は読書が難しいのですが、彼らにはいやしが必要です。読書はいやしがなされる道になったりもします。しかし、完全にいやすことのできるのは、神様のみことばのみです。
- 読書する習慣はとても重要です。毎日、少しの時間をとって神様のみことばを読んで、良い本を読むように計画を立てましょう。人生が豊かになります。今日読む聖書の本文と読む本を選択して、読み始めましょう。
Remnant伝道学 216講 / 2010.2.20