Remnant運動はだれにできるでしょうか?
イザヤ6:9~13 そこにはなお、十分の一が残るが、それもまた、焼き払われる。テレビンの木や樫の木が切り倒されるときのように。しかし、その中に切り株がある。聖なるすえこそ、その切り株。(13)
定刻礼拝のための讃美 408番 父なる神の恵みは
この時代を生きる人々はとても弱いです。小さなことにつまずき、苦しみをがまんすることができません。イザヤが生きていた時代は、国家的にも霊的にも危機の時代でした。強力な王権は揺らいで、周辺の国々が攻めてきて、民や指導者は偶像崇拝に陥ってしまい、神様のみことばは無視されていた時代でした。しかし、イザヤは揺れずに勝利しました。どのようにして、それができたのでしょうか。
1. 祈りとは何でしょうか
イザヤは祈りの奥義を持っていました。祈りは未来を見ることです。生活を通して定刻祈りと常時祈りをすれば、未来が正確に見えるようになります。神様のみことばを通して答えを正確に見るのです。この体験がなければ、実際にリーダーにはなれません。イザヤは祈りの時間にRemnantという未来に対する答えを見ました(イザヤ6章)。これから神様かなさる驚くべきことを見ました。定刻祈りと常時祈りが体質化されれば、神様のみことばを通して未来を見るようになります。
2. 伝道とは何でしょうか
イザヤは伝道という祝福を握っていました。伝道とは今日を見ることです。今日の時代と現場を正しく見ると、伝道という使命を悟るようになります。今日の仕事と今日の祈りと今日の伝道を悩んでいる人に門が開かれます。次世代に残す今日の作品を常に考えて、見つけ出さなければなりません。
3. Remnant運動はだれにできるでしょうか
私たちが次世代の前で判決を受けます。歴史の前で判決を受けます。そして、神様の御前で判決を受けます。その答えとなるのがRUTCとRemnant運動です。考えは高い水準で、心は低いところに、生活は具体的で実際的になってこそ成功します。私たちはどんな問題も問題として見る必要がありません。今からどんな問題でも、危機でも、問題として見ずに祝福に変える奥義がなければなりません。
-Remnant運動をするリーダーとして何を準備するべきか、黙想してみましょう。
総会神学校終講メッセージ / 2009.12.9