四十日四十夜をシナイ山にて
出24:12~18 主の栄光は、イスラエル人の目には、山の頂で燃え上がる火のように見えた。モーセは雲の中に入って行き、山に登った。そして、モーセは四十日四十夜、山にいた。(17~18)
定刻礼拝のための讃美 31番 ふし拝め国たみよ
自分がなぜここにいるのかを正しく悟りさえすれば、神様の働きを体験することができます。私に来た問題と、私が切り開いて進むべき未来の時刻表をおいて、先に知らなければならないことがあります。必ず人間には、ある日、災いが来ることが決まっています。だれ一人例外はありません。そのため、聖書はずっと昔から福音を送ると約束されたのです。神様の子どもとなった信徒が福音を逃す瞬間、サタンは待っていたかのように攻撃すると、聖書は語っています(Iペテロ5:8)。災いの結果として偶像と宗教が盛んになり、災いの結果として戦争が起きたことを、歴史と教会史を通して知ることができます。モーセが四十日四十夜、シナイ山に留まって神様を体験したように、現場でその恵みを見つけ出す人に世界福音化の未来が繰り広げられるでしょう。
1. 四十日四十夜
神様が力をもって私とともにおられることは「救い」の次に与えられた祝福です。神様は私たちに、神様が与えられる力を確認しながら進むことを望んでおられます。イスラエル民族がカナンの地へ行く荒野の道のりで、いろいろなことがあっても、モーセは先にしなければならないことがありました。彼は四十日四十夜をシナイ山に上って神様を体験したのです。神様の御力を確認することは、私の決断から始まります。神様を体験し、力を得ようと覚悟し、決断する日、働きが始まります(ダニエル10:10~20)。神様に集中する今日の決断が、最高の祈りとなるのです。
2. より確実な答え
「エジプトの奴隷」はイスラエルがいるべき所ではありませんでした。そのため、出エジプトと紅海の奇跡を見ても、イスラエル民族は混乱の中で葛藤しました。その時、神様はモーセを通してみことばを石の板に刻んでくださいました。石の板に刻むということは、絶対になくならない神様の約束を意味します。石の板に刻まれた十戒のうち、最初から四番目までは神様の愛を、五番目から十番目は人の愛を記録しています。詳しく見つめてみると、完全福音なのです。完全福音を握って祈れば、ある日、一番正確な時刻表に必ず答えが帰って来ます。神様を体験することは、みことばを体験することです。信徒の中に宿っておられる聖霊を通して、神様のみことばを悟ることができます。みことばが一番確実な答えです。
-今日、私たちの現場がモーセの四十日四十夜のように神様を体験する時間となるよう祈ってみましょう
インマヌエル教会聖日1部 / 2009.11.8