みことばの成就
使徒 16:16~18 幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と言った。すると即座に、霊は出て行った。(18)
定刻礼拝のための讃美 402番 主が「進めよ」と
伝道現場に出て行く前に、私たち自身がまず神様のみことばがどのように成就しているのかを握るべきです。神様がパウロと初代教会の弟子たちを大いに用いられた理由がここにあります。彼らは自分が受けた神様のみことばが成就することを正確に握りました。パウロがルデヤに出会ったときも、悪霊につかれた女性を癒して、牢に入れられたときも、牢の中で大きな奇跡が起きたときも、パウロは神様のみことばが成就するのを見て進みました。これがとても重要です。
1. みことばの中から祈りの課題を見出すべきです
私たちはみことばの中で自ら祈りの課題を見出すべきです。ユダヤ人は読書を通して、幼いころから何事も自分から進んで探し出す訓練を受けていました。暗記するだけでは自分の考えが出てきません。もし私たちが自ら神様の働きを探し出せるなら、すばらしいことが起きるでしょう。これらのことをしっかり手助けできる指導者を神様が尊く思われるはずです。
2. 必ずみことばの成就を体験するべきです
私たちは、神様のみことばが今、自分にどのように成就しているのかが分からなければなりません。私たちが出会う人と次世代に、これを分かるように導いてあげることが最高の働きです。フォーラムを通して自分が直接探し出せるようにしてあげるべきです。この中で最高の訓練がなされるのです。
3. みことばが成就するのを見て、ついて行くべきです
初代教会の弟子たちは、みことばの成就を当然の答えと見なして、それについて行きました。彼ら自らが聖霊の働きに対する目を開いたのです。そうしてこそ、真の伝道現場が見えます。パウロがアジヤにて伝道の門が閉ざされましたが、これに対する神様の大いなる働きを見逃さず、マケドニヤに行きルデヤに出会いました。悔しい目にあって牢に入れられましたが、それに対する神様の大いなる働きを逃さず、備えられていた看守に出会いました。私たちが神様のみことばが成就する働きを続けて見ながら伝道現場を見るなら、答えはもちろんのこと、神様の働きを見るようになります。
-自分にとってみことばとはどのようなものですか。私にはみことばについて行く奥義がありますか。私が体験したみことば成就の答えをフォーラムして、もう一度黙想してみましょう。
新しい家族修練会 1講/ 2009.10.11