祈りの挑戦
マタイ6:32~33 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその儀とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
定刻礼拝のための讃美 487番 いつくしみ深き
なぜ祈りに挑戦すべきなのでしょうか。祈りは救われた神様の子どもにとって一番重要な権威であり、祝福ですが、ほとんどの人が逃しています。祈りについての話はたくさん聞きますが、実際に祈りができないからです。その理由は何でしょうか。どのように祈りに挑戦すればよいのでしょうか。
1. 祈りは、何よりも重要な挑戦です
祈りがうまくできない理由は、邪魔するものがあるからです。私たち自身が邪魔する者になるときもあります。イエス様は、試みにあわないように、目をさまして祈っていなさいと言われましたが、私たち自らが気が散って逃しているのです。そして、サタンが祈りを邪魔し(ダニエル10:10~20)、環境が私たちの祈りを妨げます。祈りに挑戦するにあたって、一番重要なのは考えです。ある問題をおいて悩むのではなく、正しいことを考えるのが祈りの中の祈りです。自分も知らないうちに、考えが思想になり、意識と潜在意識と無意識の中に入っていきます。間違った考えがたましいの中に根付くと、実際的に回復するのが不可能です。ですから、聖霊にあって祈るべきです。問題を見て正しい答えを見出すことが祈りです。すべてのことを福音の目で再解釈して見ることができるのが祈りです。そして、霊的な事実を信じる時に働きが起きます。
2. 祈りはすべての問題を開く挑戦です
定刻の祈りは、自分を確立させる時間です。自分の弱さを崩す時間が定刻の祈りです。常時の祈りをする時に、現場と環境が変わる、ものすごい働きが起きます。礼拝を捧げるたびに、神様がなぜこのみことばをくださったのかを考えながら祈ってみてください。この時、聖霊の働きが起きます。これが礼拝の祈りです。何かをする時ごとに、働こうとせずに神様の計画は何か、祈ってみてください。これが特別祈りです。自分に問題が起きたなら、その問題には必ず何かの意味があるはずです。それは、本格的に祈りなさいという神様のみこころです。
3. 一番大きな壁を崩すべきです
私たちは、大物にならなければならないので、人間主義と不信仰を捨てるべきです。自分の主張が明確でなければなりませんが、自分の考えだけが正しいと思うと、大物にはなれません。それが、考えの不信仰だからです。また、環境を見て不信仰にならないでください。すべての壁を崩し、ともに進める人が大物です。
-私はなぜ祈れないのでしょうか。何から挑戦するべきでしょうか。今日、祈りに挑戦してください。
Remnant 伝道学 197講 / 2009.9.12