ビジョンの祈り
創 37:1~11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。(11)
定刻礼拝のための讃美 455番 主にすがるわれに
ヨセフは確実なビジョンを持っていました。ほとんどの人が確実ではないことをして損をし、問題にぶつかるとすぐに倒れてしまいます。福音を所有している人は、問題が来たときに当然に来るしかなかった事実を見て、自分がしなければならない、かならず必要なことは何かをよく見て、問題の後ろに隠されている神様の絶対的な計画を見出します。真のビジョンが確実なら、揺れなくて、この祝福を逃しません。では、私たちが確実なビジョンを見つけるためには、どのように祈りを始めれば良いのでしょうか。
1. ビジョンの祈り以前の事
ビジョンの祈り以前に、問題に挑戦するべきです。すなわち、問題に対する答えを得るようにという意味です。問題に対する答えを得ると、理由と時刻表を見出すようになります。ヨセフが途中であきらめていたらどうなったでしょうか。神様はなぜ、長い間ヨセフを苦しみの場に置かれたのでしょうか。神様は時を待っておられたのです。神様はこのように完璧に導かれます。何よりもまず、福音の中にある祈りをするべきです。つまり、福音をもって再適用と再解釈をすべきだということです。神様は、ヨセフを総理にするために苦労させられたのではありません。神様は、福音のためにヨセフを用いるため導かれたのです。
2. ビジョンの祈りのスタート
まず、ビジョンは神様がくださるものなので、みことばを正しく受けるべきです。みことばを通してビジョンを確認してこそ、神様がくださったビジョンだという確信が生じます。二つ目、人生すべてをもってビジョンを味わうべきです。ダビデが羊飼いをしたこともビジョンを味わうこととなり、苦労したこともビジョンを成し遂げるものとなりました。この時にビジョンが成し遂げられます。ダビデを例えにして言えば、ダビデに起きたすべての事件は、ビジョンを成し遂げるための神様の導きでした。より重要なことは、ビジョンの後に来るものです。私たちは、ビジョンを成し遂げることが目的ではなく、その後ろにある神様の契約を握ることです。ですから、ビジョンを持っている者のスタートは違うのです。
3. ビジョンの成就のために
ビジョンの成就のために私たちがするべき最も重要なことは、ビジョンを事実化、現実化、未来化させることです。ビジョンが事実的でなければなりません。ビジョンはあるけれど、それが事実と合わないなら、実際的にはビジョンに対する確信が無いのです。そして、事実を現実化させてこそ、それが人生に成就されます。また、未来に対する絵を続けて描くべきです。
-ビジョンの祈り以前にするべきことをチェックして、ビジョンの祈りをメモして、黙想しながら具体的な絵を描いてみましょう。
Remnant 伝道学 196講 / 2009.9.5