神様の計画 Ⅱコリント 7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
定刻礼拝のための讃美 313番 ゆく道はひとすじ
クリスチャンが最も多く使う言葉が、祈りと伝道です。しかし、実際のところ、一番難しいと思っているのが祈りと伝道です。信仰生活を熱心にしていると言っているのにもかかわらず、祈りと伝道ができないのは、神様の導きを受けていないからです。神様の導きを受けていなかったイスラエルの民には大きな失敗が訪れ、その結果、常に恐れの中で生きていくようになりました。それだけではなく、生活での失敗が相次ぎ、根源的に失敗の人生を送るようになりました。神様の導きを受けないと、一所懸命にしている祈りと伝道が何の意味もなくなります。神様の導きを受けるためには、神様の計画を正しく悟るべきです。どうすればよいのでしょうか。
1.信仰生活
信仰生活は良くできる、できないという問題ではありません。正しい信仰生活は、神様の計画を正しく見出すことです。失敗の中にいても、神様の計画を見出せればよいのです。初代教会には、多くの問題がありましたが、神様の計画を見出し、結局は喜びがあふれるほどの答えを受けました。神様のみこころに従ってする祈りは、何を祈っても答えられるしかありません。パウロは、聖霊の導きを受け、「ローマも見なければならない」という神様の大いなるみこころを見出しました。これが信仰生活です。
2. 福音と伝道と祈り
「福音」は、神様の一番根本的なみこころを悟ることです。神様が私たちのために、この世界の基の置かれる前から福音を備えられました。福音は無限なものです。それだけではなく、今、今日、現在も答えとなるのが福音です。そして「伝道」は、今日という重要な日に神様の最も重要なみこころを味わうことです。神様の最高の計画である伝道の中に私たちが入ることが最高の祝福であることを悟るだけで、毎日答えられます。そして「祈り」は、神様のみこころを探す悩みです。肉体的な悩みは必要ありません。しかし、神様のみこころを探す悩みは必要です。これが祈りの中の祈りです。神様のみこころを探す祈りができると、必ず神様がみことばを悟らせてくださいます。これを慕い求めるなら、すばらしい答えが出てくるようになります。
3. 当然で、必要で、絶対的なこと
神様のみこころを悟ると、当然なことをするようになります。初代教会は命をかけて世界福音化をしました。当然なことであり、すべての人に必要なことであり、絶対にしなければならないことです。
-今日という一日を過ごしながら、自分に神様のみこころのために悩む姿があるのかを振り返り、今、実践しましょう。
RUTCの朝 / 2009.9.3