社会をリードする者
Ⅱ列6:8~23 すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。 (16~17)
定刻礼拝のための讃美359番 主がともにませば
私たちはどのように社会をリードすることができるのでしょうか。私たちが最後を見て進むことができたら、必ず社会を導くことができます。ヨセフとモーセは世界の前に立つようになることを見て、ダビデは王になることより、神殿建築を見渡し、イザヤは切り株を立てることによって、世界中から息子と娘たちが帰ってくることを見て、パウロは最後の目標であるローマを見ました。私たちはメッセージを正しく握って、神様の計画を見ながら、必ず答えを受けなければなりません。それでこそ、リーダーになって、世の中を導くことができます。リーダーとして必ず備えなければならないことが三つあります。
1.神様の子どもだという身分から来る力
神様の子どもであるため、当然に与えられる力があります。それは、創造の前から与えられた契約であり、神様の主権的な契約です。これはだれも奪うことができない、絶対的な契約です。私たちが揺れる分、損です。問題があればあるほど、私たちは完全信仰とみことばの中に入らなければなりません。これから私たちの身分にふさわしいように、捨てることは捨てて、待つことは待ち、変えることは大胆に変えなければなりません。その後、神様の計画が見えたら挑戦すれば良いのです。私たちは神様の絶対主権と完璧な祝福の中で召された人々です。
2.神様の子どもが持った権威から来る力
私たちは実際に神様の子どもが与えられたすばらしい権威の力を使わなければなりません。祈る時、この権威を使うだけで、間違いなく答えられます。むしろ大きな器であるほど、答えが遅くなることもありますが、もっとも確実かつ完璧に来るため、絶対に揺れる必要はありません。答えがないように見える時、ミスしやすいです。これを注意すれば良いのです。
3.神様の子どもが味わう神の国の力
私たちは神の国の力を使わなければなりません。神の国は私たちに三つの基準を提示します。最初は、神の国が臨む時に起きることを知らなければなりません。ただ待つのではなく、すべての現場に神の国が臨むことを待たなければなりません。二番目に、私たちはこの世に生きながらも、神の国の背景の中で生きています。三番目に、私たちが神の国を味わう時、どこに行っても先に答えを見るようになり、現場にもっとも必要なことを見て、人と仕事、事件の中で重要なことを見るようになって、現場に隠された救われる者と備えられた弟子を見るようになります。私たちはこの奥義を持って社会をリードするのです。
- 何を持って社会をリードするかを黙想し、私が見つけて味わう答えをおいて祈りを始めてみてください。
青年修練会2講 / 2009.08.04