未来に向けられた事実的な答え
使2:17 神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
定刻礼拝のための讃美 406番 心おちこみ
私たちは必ず聖霊の働きを見なければなりません。祈っていると神様のみことばを悟ることができます。悟ったみことばを握って祈り続けると、神様の働きを見るようになります。これは不健全な神秘主義ではなく、神様の子どもが神秘的な神様の力を当然に味わうことです。実際に初代教会に聖霊の働きが続いて、3千人の弟子が立ち上がり、足のなえた人が歩きました。今日、私たちが聖霊に満たされると、私たちにどんなことが起きるか分かりません。どのように、この祝福を体験できるのでしょうか。
1.自分を見る客観性
人々はほとんど自分の真の姿をしっかり見ることができずにいます。それゆえに、教会ごとに問題と苦しみが続いています。そのため、客観性をもって自分の姿を見なければなりません。その道はただ福音しかなく、聖霊の働きでなくては絶対に不可能です。その時、みことばが成就されることを味わいます。みことばを聞くことと、みことばが成就されることはまったく別のことです。信仰生活においてもっとも重要なかぎは、みことばの成就を現場で味わうことです。その時、自分の姿を客観的に見ることができます。個人にもっとも早い変化は、神様のみことばと関係あること、成就したこと、現場の働きを聞く時に起きます。そのため、答えを受けた証人たちの話がとても重要です。必ずみことばの前で自分を正しく発見しなければなりません。
2.伝道の主観性
私たちは必ず伝道に対する主観性を発見しなければなりません。これは私が必ずしなければならない伝道を意味します。そして、私がしなければならない時刻表を発見しなければなりません。また、私が必ずしなければならない伝道図表を見つけなければなりません。これを主観性と言います。これを発見すると、人生が変わるくらい私たちの心を打つでしょう。
3.祈りの事実性
形式的な祈り、宗教的な祈りではない、祈りの事実性を発見しなければなりません。これにはいくつかの前提があります。最初に、まず私たちの仕事と祈りの課題が神様のみことばと計画と合わなければなりません。二番目に、自分と合わなければなりません。三番目に、握った祈りの課題を持って、いつでも、どこでも、どんな状況でも祈ることができるならば、それがまさに神様が与えられた私の祈りです。そうすれば、絵も確実になり、みことばを聞くたびにそれが祈りと正確につながります。それを続けていけば、神様のすばらしい働きは、私たち自身と周りに続いて起きます。
*与えられるみことばの中で自分を正しく見つけ、事実的な伝道と祈りの答えを見つけましょう。
ミッションホーム訓練メッセージ / 2009.7.21