ビジョン探し
使2:17神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
定刻礼拝のための讃美 542番 主よ、わが見しゆめ
パロ王が自分の夢を解釈してくれたヨセフを見ながら、「神の霊の宿っている人」だと言いました。神の霊が宿っているということは、新約では聖霊の満たしだと言っています。聖霊に満たされると、未来に成し遂げられるビジョンを見ることができます。そして、聖霊に満たされると、このビジョンは具体化され、補強され、結局、成就されます。それならば、私たちはビジョンをどのように見つけて味わうことができるのでしょうか。
1.ビジョンを得る前に、私の性格をまず点検しなければなりません
私たちは客観性が必要です。客観性と合理性を備えて、主観性と事実性も兼ね備えてこそ、正しく判断することができます。そして、真実性があってこそ、他の人の言葉にも耳を傾けて聞くことができて、知恵も生まれます。そして、実践に移す生活の節度も必要です。このように自分の性格から点検して備えることが急務です。
2.ビジョンは必ず神様から受けなければなりません
私たちは神様の人であるため、神様の御声を聞かなければなりません。これがとても重要です。一番最初に、根本的なことから解答を得なければなりません。私たちはいつでも神様の御声を正確に聞くように注意しなければなりません。根本から事実的に始めなければなりません。そのときから、みことばが生きるようになります。そのとき、みことばを通して神様の御声を聞かなければなりません。確かに聖霊は働いておられるため、祈りを通してその御声を聞かなければなりません。この三つが、ビジョンを見る正確な道になります。
3.問題を通してビジョンを発見しなければなりません
信仰の人々は、祈りの中で神様が与えられたビジョンを見たという共通点があります。彼らはみな、問題のビジョンを見つけました。そのため、私たちは問題を恐れる必要がありません。問題に対して応用する必要もありません。ただ、神様の子どもらしく、正面からぶつからなければなりません。神様の力によって真正面からそれに勝たなければならないのです。落胆したり、他の方法を使うと、結局失敗します。問題にぶつかる時、私にある問題は神様が与えられるビジョンを正しく握る、とても重要な道になります。
*神様が与えられた私の問題と根本は何ですか。その中でビジョンを捜してみましょう。
Remnant伝道学 190講 / 2009.7.18